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鄙Romance

水本誠時 写真展 in どい書店

田舎×恋愛、写真×文章の個展

2023年5月3日から5月28日まで開催された

写真家 水本誠時の個展 「鄙Romance」。

田舎×恋愛をテーマに全5章で構成される写真と文章の展示の2章に、

もげさく彗太がエッセイを寄稿。

もげへいがモデルとなった。これはそのアーカイブである。

鄙×LGBTQ 「ここにおるよ!」

Writer: もげさく彗太 Model: もげへい

 わしの好きなやつは異性愛者だ。

 

 ……ってこれだけ聞いたら「何をややこしい、当たり前やないか。」と思うかもしれん。でもね自分、ゲイなんです。それを公言してシンガーソングライターやってます。

 

 わしは男として男に恋をする。同性愛者。しかし必ずしも同じゲイに恋をするわけやない。心魅かれる人がどんなセクシャリティかなんてわからんもんで、ままならんことがよくある。それによってだーーーいぶ鍛えられ、歌を歌い続けることができている。

 

 思い返せば幼稚園から高校を出るまで、なんやかんや好きな人がその都度いて、思い返せば全員男やった。でもその男を好きって気持ちが愛とか恋とか、そういう風には捉えとらんかった。よくわかってなかったんよね。

 

 幼い頃から所謂よくおる男の子とは喋り方や雰囲気が違ってたせいか、上級生や一部の教師から「オカマ」とからかわれることがあった。幸い同級生はそんなこと言わんし、つらさを感じることはあんまなかったけど。

 

 わしの幼い頃からの癖で「内観・自問自答すること」がある。なにか感じるたびに、とにかく自分の気持ちを掘り下げて掘り下げて、毎晩部屋でぶつぶつと独り言を言いながら心を整理する。でも「オカマ」とからかわれる自分自身のことや、同性に抱く好きって気持ちは一切掘り下げてこんかった。無意識の心のセキュリティやったと思う。

 

 歌は昔から大好きで毎日歌ってた。好きなラブソングもあった。国語が得意やったけん自分なりに歌詞を理解しているつもりやった。つもり。あの頃は何もわかってやしなかった。中学生になった頃から曲を書き始めたけど、歌詞に恋愛がテーマの曲は全くなかった。成長と共に大きくなってく、特定の相手への好きの気持ちをはっきりさせないまま田舎を出た。

 

 音楽サークルに入ってバンド活動を始めるぞ!と意気込んで大学生になった。これまで見たことのない都会に出て一人暮らしを始めた。生まれた町に住み、学区内から出ず、松山すら歩いたことなかった自分には情報量の多すぎる新生活の始まり。

 

 そしてそこで出会った男に、恋をした。

 

 好きになった彼はノンケ(異性愛者)やった。片想い確定や。それからの日々は感情戦禍、感傷烈火。一喜一憂しながら自分の中のドロドロとした感情を知りたくもないのに知ってく。理解して聴いてたはずのラブソングが全く別の曲のように聞こえて、涙が溢れてくるようになった。どうしょうもなく言葉が溢れてきて……初めてのラブソングを書いた。それが今の活動で伝えているメッセージの始まり。歌い方もさえも変わった。

 

 内観することを避けてきた自己に飲み込まれて、気持ちを整理することができんなった。これまでは無視できた淡い感情は、きっと片想いの楽しい部分だけで、切なさとかもっと深いところは、わしが子どもやったけん見ずに来れたんやと思う。高校卒業までは、好きになる対象が男やったことは変わらんけど、好きという気持ちと性が結びついとらんかった。それがここにきて急展開。心と体に向き合わざるを得なくなったってわけ。

 

 わしにも何処で根付いたのやら同性愛に対する偏見があって、自分がゲイってことわかってるけど、なーんか100%認めたくないって気持ちがあって。迷って。自分を納得させようと女の子と付き合ってみたり、ホンモノにジャッジしてもらおうとゲイバーに行ったり、触れ合ってみたり。それで自分の心がどう動くんかを少しずつ確かめながら。それでも整理がつかんくて、自分が何者なんかわからんくて、どう解消していいんかわからんくて、ただ苦しみから逃れたくて、死にたいわけじゃないのに自分を傷つけてみたり。

 

 セクシャリティに悩んでる時、誰にも相談できんかった。相談するってことはカミングアウトするってことやし、カミングアウトするってこと=自分がゲイやって認めなあかん。自分の中の偏見が邪魔する。

 

 やけん全部歌にした。何曲も。それでしか整理できんかった。自分やけど自分やない主人公に、きっと自分しか知らん感情を乗せて歌った。自分から一度切り離した感情を歌うことで、客観視できて、シンガーとして気持ちを深掘りできる。混沌としてできんかった内観が間接的にできる上に、つらい気持ちも作品になったらとても愛おしいもんになるんやって思えた。このために歌を歌ってたんちゃうかな。

 

 そして気づかされた。

 

 わしがゲイなんて知る由もない女の子から「あの片想いの曲!めっちゃよかった。気持ちわかる!」って言われた時、「あぁ、何も変わらんのやな。ゲイもノンケも人を想う気持ちとか、片想いのつらさとか。」って思って。自分を認めてない自分、馬鹿馬鹿しいなって。それからだんだんゲイの自分を認めれるようになって。親にも友達にも悩みを相談できるようになって。周りが見れるようになった時、思ったより身近にゲイがおることも知った。都会でしたひとつの恋が終わると同時に、自分が自分になった感じがした。

 

 田舎に帰った。ありのままで居れるようになったわしはゲイライフを謳歌したくて、出会い系アプリを覗いたり、飲みに行ってみたりジタバタしていた。でもよくよく考えたら、恋愛したいなんて願望、なかった。自然に関わって自然と好きになった人と一緒に過ごしたい。自分から恋愛をしに行くんは、なーんか違う。てか全然しっくりこない。

 

 そしてまた恋をした。結局好きになったんは日常で関わりが深くてほんまに気が合うノンケである。またノンケ。もちろんその恋に未来の希望はごく薄いわけやが、以前のように悩んでない。だって想っていいもん!とにかく自分を否定せんで済むってことが、好きな気持ちを否定せんでよくなったことが、以前の恋とはまるで違った。

 

 愛媛を拠点に音楽活動を始め、運命の相方・泰平と音楽ユニット「もげへい」を結成した。ライブ活動のテーマを固める時に「愛を、同性愛を歌いたい」って思った。初めは泰平がノンケやけんと気を遣って、ステージ上で自身がゲイとは言わず、曲の説明もぼかしてた。ハッキリ言わんでも、伝わるもんがあればそれでええやろうと。

 

 でもなんかモヤモヤする……って時にネットに投稿された「じろうとつばさ」(著・ハム和)って漫画が目に飛び込んできて。そこにはわしがセクシャリティに悩んでた時の気持ちがそのまま描かれてて、そうこの気持ち!ほんまそれ!って読む度に自分の中の未消化やった気持ちがスッキリしていった。

 

 漫画から受けた感覚をきっかけに、自分の歌を同性愛者の言葉として、はっきりわかる形で表現することで救われる人がおるんやないかって思った。

 同性愛といえば、テレビでオネェタレントを見たり、漫画やアニメで目にすることはあっても、それが身近にあるとは思いもせず。自分がゲイだと気づいて感じた孤独感はとてつもなかった。地方であるほど身近にその存在を感じることはできんけん尚更、「わしがここにおるよ!」って言いたくなった。

 

 セクシャリティが違うからと気を遣うのをやめて、泰平に協力をお願いした。「俺はよくわからんけど」と言いながらも、声を聴けば確かに感じる程に曲の気持ちに向き合ってくれた。誰より心強かった。そしていつものように、いつもと違うライブが始まった。

 

 自分の立ち位置を明確にしてからの方が、表現にかかっていた膜が取れた感じがして思いきり歌えるようになったし、直接「夢や希望をもらった」って声をもらえるようになって。やっとやりたかった表現にたどり着いたなって思った。

 

 同性愛者ってつらいんやろとか、苦労したやろとか言ってくれる人もおるんやけど、結局つらいのって、本当の自分はこれ!って言えんことなんよ。同性愛者だからじゃなくて、周りの目ぇ気にしてありのままの自分で居れんことがつらい。嘘つきたくないんよ。自分は自分ですって表現できるようになった今、一番幸せを感じとるけん、それが多くの人に伝わればいいなって。

 

 自分はゲイで、この場所に生まれ落ちて、この立ち位置で歌を歌いよるけど、セクシャリティとか関係なく自分自身を認められん気持ちを持ってる人に「そのままでええんよ」って言ってあげれる存在でありたいって思う。本質はそこにあると思う。

 

 今はLGBTQとか呼称がついてさ、腫れ物扱いされちゃったりとか、逆に特別扱いされちゃったりとか、生きやすくなる分にはそりゃありがたいけど、そんなセンセーショナルに取り上げんでも、一個人が「これが自分だ」って、自分は自分だって認めてあげられる、それを周りの人が否定しないって、ただそれだけの話やと思うんよね。

 

 やけんこれからも、わしはわしのままで自然に好きになった人が好きやし、その人がゲイでもノンケでも、それ以外の性でもそれでいいと思ってる。

 

 とりあえず。どんな位置にいても自分愛して参りましょ! もげへいのもげさく彗太でした。

鄙Romance トークショー

​「恋愛と音楽とわたし」

​水本誠時 × もげさく彗太 × いっちゃん

写真家  水本誠時
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